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渡邊雄太(バスケ)の身長は?ハーフの噂は本当?家族エピソードも!

渡邊雄太(バスケ)の身長は?ハーフの噂は本当?家族エピソードも!

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高校卒業後に渡米し、NBA史上2番目の日本人プレイヤーとなった渡邊雄太さん。「30代は楽しくプレーしたい」という思いから帰国し、2024年に千葉ジェッツに入団しました。以降、日本のプロバスケットボールリーグ(Bリーグ)を盛り上げるために尽力しています。

ファンならば渡邊雄太さんのプライベートも気になりますよね。この記事では、渡邊雄太さんの身長や家族エピソードなどをまとめて紹介します。

目次

渡邊雄太の身長は?

2025年8月時点で、渡邊雄太さんの身長は206センチです。両腕を広げた長さも同様に206センチ。さらに手を真っすぐに上げた状態で指先から地面までを計った時の長さは260センチほどです。縦にも横にも広域にガードできる恵まれた体格と共に、最高359センチに手が届くジャンプ力も兼ね備えています。まさにバスケットボールをプレーするために生まれてきたような人物ながらも、中学時代は平凡な少年だったようです。

身長160センチの少年が急成長

高松市立牟礼中学校に入学した時の渡邊雄太さんは160センチほどで、平均的な身長でした。ところが約1年間で急激に成長。中学2年の時には174センチまで伸び、香川県選抜チームにエントリーされて都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会に出場しました。さらに中学校を卒業する頃には180センチに到達。15歳の男子の平均身長より10センチほど高くなっていました。ボールを扱う能力も優れていたものの、バスケットボールの強豪校である尽誠学園高等学校に入学すると、他の部員と大きな差がありませんでした。

高校1年から試合に出場

アスリートとして顕著な変化が現れたのは、尽誠学園高等学校バスケットボール部を創設した名監督・色摩拓也さんとの出会いがきっかけでした。「初心を忘れずに謙虚であること」「行動する理由を考えてプレーすること」そんな教えを大切にする色摩拓也さんの姿に感銘を受け、ひたむきに練習に取り組み続けた結果、身長だけでなくバスケットボールの技術も飛躍的に向上しました。オールラウンダーとして献身的にチームのためにプレーするスタイルが評価され、高校1年の時からインターハイに出場。“渡邊雄太”という名前を知らしめました。

2年連続ウインターカップ決勝進出

高校2年の時には196センチの大きな身体と勝負強さをいかし、ウインターカップで大暴れ。尽誠学園高等学校バスケットボール部を初の決勝戦へと導きました。決勝戦ではインターハイ王者である延岡学園と激しい攻防を繰り返したものの、残念ながら敗退。その悔しさをバネに仲間と懸命に鍛錬を続けました。高校生活最後のウインターカップでは、再び延岡学園と決勝戦で激突。前半で10点以上の差をつけられながらもチーム一丸となって食らいつき、惜しみない声援と拍手を送られました。

アメリカの大学チームで頭角を現す

バスケットボールは高身長のプレイヤーが圧倒的に有利なスポーツです。そのため、ひと昔前までは小柄な日本人選手がバスケットボールの本場で活躍することは夢のまた夢でした。そのような事情により、渡邊雄太さんが高校3年の初め頃にアメリカ留学を決心した際には、周囲が猛反対したそうです。しかしNBAに挑戦した経験がある田臥勇太さんに後押しされ、ジョージ・ワシントン大学に進学。大学在学中は、チームトップクラスの得点とリバウンド数を記録し、203センチのサムライが現れた!と現地メディアに取り上げられたようです。

東京オリンピックで存在感を発揮

2021年に開催された東京オリンピックでは、田中大貴さんと共に日本代表チームのキャプテンを担当。豊富なスタミナと、いくつものポジションをこなせる器用さをいかして、ディフェンスとオフェンスの両面で質の高いプレーを披露しました。渡邊雄太さん擁するチーム内に圧倒的なビッグマンが不在でしたが、身長差のある強敵に立ち向かう選手たちの勇姿に多くの日本人が感動。オリンピック観戦を機にバスケットボールを始めた人もいるのではないでしょうか。

ハーフの噂は本当?

ネット上で渡邊雄太さんがハーフであるという噂が流れていますが、これは偽情報。渡邊雄太さんは神奈川県で生まれで、香川県で育った生粋の日本人です。にもかかわらずハーフ説が出回っている理由は、渡邊雄太さんと同世代でNBAに挑戦している八村塁さんがベナンと日本のハーフだから。2人を混同してしまい、渡邊雄太さんをハーフと勘違いしている人がいるようです。

また、渡邊雄太さんといえば200センチをこえる身長の高さと、長い手足が特徴のため、その日本人らしからぬ体格からハーフ説が浮上したのかもしれません。

渡邊雄太の家族エピソード

2025年8月時点で判明している渡邊雄太さんの家族は、両親と姉の3人。全員バスケットボール経験者らしいのですが、どのような人物なのでしょうか。

母親は元トップアスリート

母親の渡邊久美さんは和歌山県出身で、旧姓が久保田。世界選手権に出場した経験を持つ元トップアスリートです。枚方市立津田中学校を卒業後、甲子園学院高校に進学。高校時代は176センチの長身と器用にドリブルする技術力をいかし、バスケットボール部に全国高校総体 準優勝という快挙をもたらしました。その後、女子社会人トップリーグに所属していた強豪チーム・シャンソン化粧品に加入。日本代表の主将としてアジア競技大会や女子世界選手権といった国際試合に出場して経験を積み上げ、1985-1986シーズンには日本リーグでMVPを受賞しました。

地元の子供たちに指導

アジア競技大会で銅メダルを2回獲得するなど、数々の輝かしい成績をおさめ、ファンに惜しまれながら1986年に現役を引退しました。一般人になってからは3歳ほど年上のバスケットボール選手・渡邊英幸さんと結婚し、32歳の時に渡邊雄太さんを出産。育児に奮闘しながらもバスケットボールへの情熱は冷めなかったのでしょう。横浜市などを経て移住した香川県木田郡三木町で地元の少年バスケットボールチームのコーチに就任。そのチームに渡邊雄太さんも小学1年から所属し、地道に努力していました。

父親はエリートサラリーマン

父親の渡邊英幸さんは香川県出身の元バスケットボール選手です。高松工業高等専門学校を卒業した後、準大手ゼネコンの1つである熊谷組に入社しました。同社が運営していた社会人バスケットボールチームに所属し、約9年間にわたってフォワードとして活躍。現役時代の身長は191センチでした。1988年、30歳の頃に現役を引退してからは地元にUターンし、大成建設の四国支店に勤務。高知営業所の所長まで登り詰めました。

父子二人三脚で猛特訓

サラリーマンとして業務に励む傍ら、小中学生に対してのバスケットボールの指導にも熱心でした。その功績が認められ香川県バスケットボール協会の理事を務めていました。小学2年の渡邊雄太さんが「NBAに行きたい」と言って以降は、マンツーマンの特訓を開始。毎日のように父子そろって朝5時に起床し、1時間ほど小学校のグラウンドで汗を流していました。ドリブルやランニングのほか、電柱に真っすぐボールを当てる練習を繰り返し、漫画「巨人の星」の主人公のごとく父子二人三脚でNBAを目指していたそうです。

姉は元バスケットボール選手

姉の渡邊夕貴さんは2014年までバスケットボール女子日本リーグで活躍していた元アスリート。渡邊雄太さんと同じく、小学生時代にミニバスケットボールを始めました。丸亀市立飯山中学校に在学中、香川県選抜チームの一員として都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会に出場し、ベスト8にランクイン。バスケットボールの才能を開花させ、中学卒業後は高校バスケの名門といわれている桜花学園高校に進学しました。

ユーティリティプレイヤーとして活躍

ウインターカップに出場するなど、超高校級の選手との戦いを通じて成長し、実業団チーム・アイシンAWに加入。身長170センチとアスリートとしては小柄でしたが、攻撃と防御をバランスよくこなせるユーティリティプレイヤーとして活躍していました。1歳ほど年下の弟である渡邊雄太さんの存在を励みにしていたのかもしれませんね。

まとめ

渡邊雄太さんは身長200センチ以上の大きな体と天賦の才能に恵まれる一方、幼い頃から努力を惜しみませんでした。その経験があったからこそ「日本人がNBAで通用するわけがない」「無謀な挑戦」と周囲に言われながらも、決して夢を諦めずに邁進できたのでしょう。2025年は度重なる怪我に苦しんでいますが、今後の再起に期待したいですね。

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