デビュー20周年を迎えた人気男性アイドルユニット、「SUPER EIGHT」の横山裕さん。実は壮絶な生い立ちの持ち主なのです。
今回は横山裕さんの生い立ちについて紹介します。
横山裕の生い立ち
横山裕さんは1981年5月に大阪で誕生しました。実は「裕」という名前は芸名であり、本名の「侯隆(きみたか)」が読みづらいという理由でジャニー喜多川さんから「Youは裕だよ」と名付けられたのですね。そして「横山」の方も、生まれたときから横山さんだったわけではないのです。
横山裕さんの両親は横山裕さんが3歳の時に離婚しています。その後母親は5歳の時に再婚、「横山」はこの時結婚した相手の名字なのです。
横山裕には弟が二人
横山裕さんには弟が二人いますが、この二人の父親は横山裕さんにとっての義父です。次男が横山裕さんの6つ下、三男が横山裕さんの8つ下ですよ。横山裕さんはこの義父とはうまく馴染めず、初めは団地の2階上に住む祖父母の家で暮らすようになったそうです。
横山裕さんが小学5年生の頃に祖父の体調が悪くなってからは、祖父母と両親と三兄弟の7人で一つ屋根の下暮らすようになりました。しかし横山裕さんはやはり義父を受け入れられずにいたそうです。
横山裕は母親きっかけでジャニーズ事務所に入所
横山裕さんがジャニーズに入ったのは中学三年生の頃、母親が勝手に履歴書を送ったのがきっかけです。とはいっても、履歴書を書いたのは横山裕さん本人。元々友人にジャニーズJr.がおり、「俺等も入れるんちゃう」と仲間内で話題に出た際に書いたのですが、送り先が分からずに放置していたのをお母さんが送ったのですね。
オーディションの際には、横山裕さんは乗り気ではなかったようですがお母さんに催促されて会場に行き、しかし遅刻となった上オーディション会場では後ろで寝っ転がっていたそうです。それでもジャニー喜多川さんの目に留まり、横山裕さんはジャニーズJr.となったのですね。
中学卒業後に建設会社で働き始める
ジャニーズ事務所に入所した中学卒業後、横山裕さんは実家を出て建設会社で働き始めています。現場には仲の良い同年代の人もいて、建設現場での肉体労働も横山裕さんにとっては居心地良く楽しい時期だったようです。ジャニーズとしては、1998年にドラマ初出演と映画初出演を果たすなど、関西ジャニーズJr.の主要メンバーとして活躍。ジャニーズとしての活動が軌道に乗ってくると、そちらが忙しいということもあり建設会社の仕事は辞めました。
デビューした頃に母ががんを患う
横山裕さんは23歳のときに関ジャニ∞ 改名前のSUPER EIGHTにあたるグループでデビューを果たします。しかしその頃にお母さんががんを患ってしまい、更に義父との仲もぎくしゃくして最終的に離婚することとなりました。横山裕さんは「僕がしっかりしないと弟たちの将来が無茶苦茶になる」と考え、少し年の離れた弟二人が独り立ちするまで自分が支えるのだと決意しました。
義父については色々思う所があるらしい横山裕さんですが、二人の弟たちと巡り合わせてくれたことについては感謝しているのだそうです。
母の死と弟の記憶喪失
横山裕さんが29歳の時、お母さんが50歳の時に買い物中に倒れてこの世を去りました。そして葬儀の二週間後に、一番気丈に振る舞っていたという次男が倒れ、「病院の先生が、おかんが死んだって意味分からんこと言ってる」と言い始めたそうです。なんでも、お母さんの死がショックだったあまり、記憶が飛んでしまったのだとか。
横山裕さんは生まれ育った大阪市に家を借りて弟たちを呼び寄せて三人暮しを開始。次第に次男は回復し、結婚。三男は税理士を志して、その夢を叶えました。横山裕さんは無事、弟二人を独り立ちまで守り抜いたのですね。
横山裕さん、焦り・苦しさあったけど「一人で背負わない方がいい」…STOP自殺 #しんどい君へ : 読売新聞
最後に
今回は横山裕さんの生い立ちについて紹介しました。さぞしんどかったことだろうと思われる横山裕さんの半生ですが、本人は「大丈夫や、何とかなる」と楽観的に考えながら過ごしていたそうです。たくさんの愛情を注いでくれたお母さんへの感謝を胸に抱きながら、横山裕さんは今日も多くの人に笑顔を届けています。